midunolog

日記を書きたい

フィクション作品のインターフェースとTwitter連携

そういえばノベルゲームのUIにTwitter連携入れてるのをいくつか見てきたが、あれはどうなってしまうんだろう。

ノベルゲームは、立ち絵や背景などの「コンテンツ」と、トップ・設定・ギャラリーなどの各種ページや、コンテンツ手前にあるテキストウィンドウなどの「インターフェース」で構成されていることが多い。前者はフィクション寄りで、後者はリアル寄りの要素だ。

コンテンツの例でいうと、イラストの絵柄や、作中に登場する携帯電話の描写、登場人物の価値観などから時代を感じることもよくあると思う。
一方でインターフェースに感じる時代感もたしかにあり、それらはテキストウィンドウに並ぶMSゴシックの文字列であったり、設定ページにおける変更可能な項目の少なさや、ボイスカット・コンティニューなどの機能の有無であったり、解像度の上限がフルHDであったりを通じて感じることがある。
まぁ設定ページにまつわる云々は、コンテンツ外の問題なので、人によっては問題に感じないこともあるが。往々にしてコンテンツが面白ければ多少の不便は忘れられる。

ノベルゲームにおいて、ユーザーもといプレイヤーは、多くの時間をコンテンツとUI(テキストウィンドウや周辺に見えるアイコン・ラベル含む要素)に囲まれて過ごすことになる(UIもコンテンツに含まれるのではないかという意見もありそうだが、ここではプレイヤーが操作して大きく干渉できるかをひとつの基準にした)

そのUIの中に、表題の Twitter連携 を入れているノベルゲームは割りとある。いや測ってないのでわからんが、この数年でそこそこ見てきた。

一個人として、ウェブサービスにおける突然の障害やサ終は珍しい話では無いと思っているので、24時間安定稼働で3年後も5年後も10年後も存在している前提でスタンドアロンなソフトウエアのいち要素に組み込まれているのを見ると、割りと信じられない気持ちになることがある。10年続いてるサービスが突然サ終する可能性は低いが、今ある機能が今後も提供され続ける保証は無い。

そういったフィクションに賞味期限のある要素を含めるなという話とは別に、そもそもお前フィクション作品に Twitter みたいな現世の固有名詞を、よりによって常に目に入るインターフェースに入れるなよという話もあって。いやなんの話をしていたんだっけな…

とにかく、先ほど起動したn年前のノベルゲームの体験版のテキストウィンドウに、Twitter有機能が含まれているのを見て、ぎょっとしてしまったのだ。
現時点ではTwitterは存在しているが、満足に自身のタイムラインを閲覧できる状況にない。これはサービス開発元による意図した変更なので、完全にもとには戻らないように思っていて、復活するにしてもなにか別の角度の価値を持った状態になっていると予想している。おそらくそれは最初にゲーム開発者が意図したそれとは異なっているはずで、発売当時と今とではプレイヤーの感じ方にも差があるだろう。

そういう未来を妄想すると、インターフェースに Twitter の文字が含まれていること自体、あまり良い状態ではなさそうに思った。
n年後にプレイする人が「Twitter連携の項目がずっとテキストウィンドウに表示されてるのが気になって地味に集中できない」みたいな状態になることを危惧しているし、そういう要因が大なり小なり作品全体の評価に影響してしまいそうで惜しいと思う。2023年に発売されたゲームに、mixi連携みたいな項目あったらびっくりしそう。

被害妄想みたいな散文を書き散らしてしまったけど、ずっと思っていたことだったので、書いてちょっとスッキリした。