midunolog

日記を書きたい

入院

こんなことを書いたら怒られるかもしれないけど、漠然と入院したいなと思うことがある。

まだ小学生のころ、インフルエンザか何かで1週間だけ入院したことがあった。なぜか、覚えていることと事実に相違がある不思議な入院で、インフルエンザじゃなくてもっとなにか別の病気だった気もするし、1週間じゃなくて1ヶ月弱だった覚えがある(確認したらそんなことはなかった)

当時は全く学校に行きたくなくて、小学生活は全然いいことがなくて、毎日早く学校が終われと思っていた。 そんなときに入院したものだから、体感時間が誤魔化されていたのかもしれない。入院していたときは点滴を打たれて、一日中ベットから動けなくて、窓も近くなかったのでずっと天井を見ていた記憶がある。ゲームのある家庭じゃなかったし、テレビも好んで見ていなかったので、今となっては何をしていたか覚えていない。 ただ、退屈だったなんてことは全然なくて、このまま治らなければ、ずっと寝ていられるのかなーと思っていた。普通に学校に行くのも嫌だったし、長期休み明けに行くのはもっと嫌だった。

白いベットで、美味しくない、けど食べ切れる量で、しかも残しても許される昼食というのはかなりの非日常で、入院中の1日は長い1日だったけれど、学校の6時間分の授業時間よりはるかに短い気もしていた。当時のストレスのいくつかの要素が、入院することで解消されていた。以前から何度かバレバレの仮病で学校を回避していたぼくにとって、病気というしょうがない理由で何も後ろめたいことなく休める病院はいいところだった。

この入院が、記憶にある中では最初で最後の入院であり、これ移行は大きな怪我や体調不良もなく身体は健康に生活できている。 でも、たまにこのことを思い出して、漠然と静かな場所で養生したくなる。3日とか、1週間とかじゃなくて、3ヶ月とか半年くらい。 よくある、長年勤めた会社をやめて、3ヶ月くらいガッと旅に行くような感覚だろうか。そういう気持ちが自分の中にある。


最近文章を書いてなかったなぁと思って、別ブログで日報的な日記を始めた。まとまってない気持ちをアーカイブできる場所がほしいなと思って作った。 さっきその日記を書き終えてから、なんとなくブックマークしてた好きな日記を読んでて思ったのが、「これインターネットにあるテキストだから、入院している人でも読めるんだよな」ってことだった。

自分の日記書いてるうちは、読まれるのはまぁTwitter経由くらいかなーとか思ってたんだけど、たまーに謎のアクセス数が入るときがあって、そういうときに一体誰が読んでいるのかな。と思うことがある。これはインターネットにあるテキストなので、環境さえあれば入院していても読めるし、山に篭っていても読める。小学生でも、90歳を越えた方でも読める。読める、、読むことができるというのはたいへん良いことで、そういう方の目に入るかもしれないと思って日記を見返したら、ちょっとわくわくした。

ぼくはいま、漠然と入院したいなと思っているけど、他の人はどんなこと考えているのか知りたい。