今週のお題「2017年にやりたいこと」
これは以下の日記にインスパイアされた記事です。
恋わかる。恋愛とかキャラ愛とか作品愛とか、個を対象とした熱を持った感情が刹那的にしかならない。長いあいだその感情を温める、そういう体験が久しくない… 俺の嫁とは…
— みづいろ (@midunoiro) 2017年1月10日
名作なら一年に何本かは存在するし、それらを鑑賞もする。でも最近は自分の中に残らない。体験したという事実は覚えているけれど、3ヶ月もすれば、もうその時の感情は湧き上がってこない。
最近、アニメを最終回まで見ることが減った。具体的には、1シーズン平均で1.5作品くらいしか12話を完走していない。
かわりに、昔ハマった作品をもういちど見たり読んだりすることが増えた。そうすることで、当時の強い感情を思い出して、まだ自分には作品愛があるんだ。みたいな。自己催眠じみたことをしてしまっている。
そういう「当時の強い感情」とは、引用元にある「脳にズドンとくる感覚」のことであり、それはほぼ「恋」のようなものである。ように感じる。恋するほどにハマった作品ということです。
脳にズドンとくる感覚を一言で言いあらわすと恋としか言いあらわせなくて、でも誰でもなんとなくニュアンスは汲み取って頂ける感覚だと思うので恋ということにしている。 そういう感覚を味わう回数が減っているのはなんだか人生としてさみしい気がしていて、そういう感覚こそ人生の醍醐味な気がしている。
2017年にやりたいこと - ヒトナツログ
「すごく好きなモノ」を聞かれた時、昔の引き出しからしか話せなくなってきている。そんな状況に、危機感を覚える。
すごく好きなモノは昔のモノでないといけない必要なんてないのに、今の自分からはスッと出てこない。それがひどくさみしく感じる。
今年はもっと、あとで振り返った時に、あぁこの頃はアレの事しか考えてなかったなぁ…となるくらいの、強い体験をしていきたい。
以下は、熱がこもってこの記事を生成する前のTwitterの下書きです。
そもそも18歳以上対象の作品なのに、ぼくの好きなキャラが推定19歳なのがしんどい。最速プレイでも1年後は同い年で2年後は年上ですよ。毎年誕生日を覚えて祝っているのに、年々しんどい。もっと猶予をくれ。
これが言いたかっただけというのもあります。