midunolog

日記を書きたい

電卓

ぼくは電卓使って計算するとき、いつも直前に入力した数字を間違えていないか不安になって、5回くらい同じ計算をしている。

お金の勘定なんかは特にミスできないぶん毎回不安になるので、Macのspotlight機能に計算式を入力して計算している。
こうすると、全ての数字が見えて安心できるので良い。

先ほども、銀行の人が軽快に電卓たたく様子みて、自分が間違えてないと思わないのかなぁ…と思って見ていた。

なぜ電卓には計算式が見えないようになってるものがほとんどなんだろう?理由が知りたい。
全部表示しろとは言わないけれど、直前の数字と演算記号は表示しておいてほしいと常々思っている。

アイコン

Yahooニュースのアプリアイコンが新聞だったので少し思ったのだけれど、新聞が無くなったら次はどんなアイコンになるんだろう。
新聞の代替って何だろう。ニュースアプリのレイアウトっぽいアイコンになるんだろうか?

同じように、既にフロッピーアイコンが保存でなくなったように。電話のアイコンが据え置き機のそれの形でなくなったように。
てか連絡帳ってなに?え?昔そういうのが実際にあったの?みたいな、象徴としてのアイコンが時代によって機能しなくなる現象に対して、これからどのような感じになって行くのか気になっている。

実家がタブレットを買おうとしていて、まぁたぶん使い方教える時に「この形をしたボタンみたいなの押してね」って言うと思うんだけど、それが通用しなくなる未来が見えててやや不安

1年後にゲームやる

ぼくはゲームを始めるタイミングが遅い。
気になるゲームをリリース日に買うみたいなことあんまり無くて、ここ数年で遊んだゲームだと、だいたい3ヶ月後〜1年以上後になってからプレイしている。
こんなことになってる理由はちゃんとあって、それは事前に自分の苦手なホラーやグロテスク、スプラッタといったR18G要素が無いか(あったとしてどの程度か)を確認しているからである。要はネタバレを確認している。
ネタバレしたらつまらんだろというご意見はもっともなんだけど、トラウマを生まないためには仕方ないと割り切っているのと、あと、ゲームの内容を知るのと実際に体験するのは別物だと思っているので、そんなに勿体ない感じはしてない。
とはいえ、この辺普通じゃない感じはちゃんとあって、もちろんぼくも内容がR18Gっぽくなければネタバレ無しでやりたい。学園恋愛ファンタジーとかR18Gがなさそうなやつは全力でネタバレを回避していきます。


最近スプラトゥーン2を買ったのでこういう日記を書きました。きょうヒーローモード終わった。

いい記事

いい記事を見つけたときに、スターを押して、ブックマークして、それから最後に「読者になる」を押すかどうか迷う。
インターネットを適当にさまよって、それで偶然出会った〜みたいな文脈のほうがなんだかロマンティックで記憶に残る気がしているので、なんとなくそのままそっとページを閉じることが多い。
いい文章をずっと見ていたいんじゃなくて、いい文章に出会う体験をずっとしたいんだと思う。
無限に恋愛してたいというワードが浮かんだが、そんなに遠くない表現な気がしている。

あとで読む

あとで読む機能、だいたいあとで読まない。
随分前にやめたPocketを再度導入して、個人用Slackに流しているけど一切読み返さない。
OGP的なの効いてない気がしていて、内容が一覧できないからどんどん溜まっている。
結局同じことになっているのでどうにかしたいが、マンパワーで解決できそうな類だとどうしても腰が重くなりがち。
そのうちいい感じになりたい。

入院

こんなことを書いたら怒られるかもしれないけど、漠然と入院したいなと思うことがある。

まだ小学生のころ、インフルエンザか何かで1週間だけ入院したことがあった。なぜか、覚えていることと事実に相違がある不思議な入院で、インフルエンザじゃなくてもっとなにか別の病気だった気もするし、1週間じゃなくて1ヶ月弱だった覚えがある(確認したらそんなことはなかった)

当時は全く学校に行きたくなくて、小学生活は全然いいことがなくて、毎日早く学校が終われと思っていた。 そんなときに入院したものだから、体感時間が誤魔化されていたのかもしれない。入院していたときは点滴を打たれて、一日中ベットから動けなくて、窓も近くなかったのでずっと天井を見ていた記憶がある。ゲームのある家庭じゃなかったし、テレビも好んで見ていなかったので、今となっては何をしていたか覚えていない。 ただ、退屈だったなんてことは全然なくて、このまま治らなければ、ずっと寝ていられるのかなーと思っていた。普通に学校に行くのも嫌だったし、長期休み明けに行くのはもっと嫌だった。

白いベットで、美味しくない、けど食べ切れる量で、しかも残しても許される昼食というのはかなりの非日常で、入院中の1日は長い1日だったけれど、学校の6時間分の授業時間よりはるかに短い気もしていた。当時のストレスのいくつかの要素が、入院することで解消されていた。以前から何度かバレバレの仮病で学校を回避していたぼくにとって、病気というしょうがない理由で何も後ろめたいことなく休める病院はいいところだった。

この入院が、記憶にある中では最初で最後の入院であり、これ移行は大きな怪我や体調不良もなく身体は健康に生活できている。 でも、たまにこのことを思い出して、漠然と静かな場所で養生したくなる。3日とか、1週間とかじゃなくて、3ヶ月とか半年くらい。 よくある、長年勤めた会社をやめて、3ヶ月くらいガッと旅に行くような感覚だろうか。そういう気持ちが自分の中にある。


最近文章を書いてなかったなぁと思って、別ブログで日報的な日記を始めた。まとまってない気持ちをアーカイブできる場所がほしいなと思って作った。 さっきその日記を書き終えてから、なんとなくブックマークしてた好きな日記を読んでて思ったのが、「これインターネットにあるテキストだから、入院している人でも読めるんだよな」ってことだった。

自分の日記書いてるうちは、読まれるのはまぁTwitter経由くらいかなーとか思ってたんだけど、たまーに謎のアクセス数が入るときがあって、そういうときに一体誰が読んでいるのかな。と思うことがある。これはインターネットにあるテキストなので、環境さえあれば入院していても読めるし、山に篭っていても読める。小学生でも、90歳を越えた方でも読める。読める、、読むことができるというのはたいへん良いことで、そういう方の目に入るかもしれないと思って日記を見返したら、ちょっとわくわくした。

ぼくはいま、漠然と入院したいなと思っているけど、他の人はどんなこと考えているのか知りたい。