midunolog

日記を書きたい

「僕が愛したすべての君へ」と「君を愛したひとりの僕へ」を読んだ。

euphobook.hatenablog.com

ユーホさんのこの記事を見て、気になったので買って読んだ。装丁はarcoincさん。実は本自体はそのデザインから以前見たことがあって、SFというかセカイ系というかなんだかフィクションラブストーリーっぽいなぁというのが第一印象だった。

さて、構図から想定がつくだろうけれど、二冊は世界観を共有している。この小説は主人公が同じ、別々の世界の物語。パラレルワールドものである。主人公とその周辺人物は、この二冊の世界を行ったり来たりする。そのため、二冊間で物語は相互に補完されるようになっている。
これがこの本の面白いところで、前述の記事にもあるように「どちらから読むか問題」が発生する。そしてぼくは「君を愛したひとりの僕へ」から読んだ。理由はこちらのほうが話がシリアスそうだからだ。どうせ両方読むなら読後感が良さそうなほうを選びたい。なので、どちらから読むかというよりは、どちらを最後に読みたいかで決めた。

実際に両方読み終えたけれど、「僕が愛したすべての君へ」のほうが読みやすかった。読後感について言及すると結末の雰囲気のネタバレになるのでやめておくが、内容や表紙デザインからみても、なんとなくこちらから読み始めることを想定しているような感じはした。
ちなみに、ぼくはどちらか片方を読み終えた後もう片方にアンサーを求めるつもりで選んだのだけれど、姿勢としてそれは間違いだった。これらはあくまで別々の世界の物語であり、相互に補完するだけであって、物語の答えにはならない。それぞれがそれぞれの物語であること、それぞれの人物がそれぞれのパラレルワールドで生きているんだということを読み終えて感じた。まさに人それぞれ。




「君を愛したひとりの僕へ」→「僕が愛したすべての君へ」の順について(ややネタバレ気味)

ややスッキリした読後感だった。「君を愛したひとりの僕へ」のラストが、「僕が愛したすべての君へ」で補完されたからだ。読み終えた後、なんだか救われた気分になれた。なんだかと表現したのは、登場人物全員が救われたわけではなかったことが理由で、そこにパラレルワールドの妙が絡んでくる。

ちょっとぼかして書くのがしんどくなってきたので大胆に言ってしまうが、「君を愛したひとりの僕へ」はベースがシリアス(+ラブストーリー)で、「僕が愛したすべての君へ」はラブストーリー(+シリアス)だった。しかも後者の終盤の歯切れが良いため、ぼくが読んだ順だと作品がちゃんと締まった感じになる。前者の終盤は例えるなら「俺達の戦いはこれからだ」みたいな感じだった。あと、先ほどの救われると表現した点で言うと、メインの登場人物が3人ほどいて、その全員が頑張っているのが前者、何らかのカタチで救われるのが後者なのでここでも順番が噛み合っていたのですんなり読めた。
ここまで書いておいてなんだけど、逆の順番を否定しているわけでは無いことは明言しておく。というかもう逆順を初見で読めない今、その読後感を知るすべはぼくにないので、むしろ逆順で読んで感想を教えてほしいくらいである。教えてください。

どうにも内容に踏み込まずに感想を書くのはたいへんなので、このくらいにしておいて、あとはよかったら読んでねという感じで終わります。

和音かわいいよ和音。


過去

思うところあったので、過去をササッとメモしておく。こうして書いてみると意外と忘れていたことが多く、残しておくのが良いと思った。
「じぶん年表」なるお題があったので追加しておきます。



  • そこそこ珍しい姓の家庭に生まれ、そこそこ珍しい読み方をする名を付けられる
    • つまり難読氏名である。
    • 小学中学時代は必ず間違えて読まれていた。


  • 誕生とともに現在の実家が建てられる
    • 実年齢=築年数である。最近リフォームしたので自分もリニューアルしたい。


  • 幼稚園で無く、保育所に預けられる。余ったハッカ味の飴を処理する担当になる
    • おやつはミニドーナツ+飴の組み合わせで、一番人気はイチゴ味なのでハッカは余る。
    • 1度ハッカ担当すると以後毎回それを食うハメになる。
    • なぜ園児にハッカ味の飴を提供しようと思ったのか…


  • 6歳から水泳をはじめる
    • ライフセーブ的な意味で習わされていた。6年間続く。


  • 小学1年時、切手絵をトレース&リリースしまくる
    • 郵便局の配布している下敷きに「鳥の絵柄の切手シリーズ」があって、その絵を無限にトレースしてはちぎって配るということをやっていた。
    • 給食食べるの遅いので、残った昼休みは教室で絵を描くくらいしかできなかった。


  • 読書で辞書を読む
    • 運動するより読書してた。娯楽に厳しい家庭だったのでマンガとか無くて、広辞苑とか和英辞書とか読んでた。
    • 自分の知らない単語を知って、その説明を読んで知った気になるのが面白かった。wikipedia旅に近い。


  • 仮面ライダーを見始める
    • 2000年からなので、クウガ見てた。それから2004年の剣まで見てた。
    • ちなみに龍騎は今までに9週見てる。各30分、全50話を9週…


  • 小学3年時、初めてのゲーム「ポケットモンスター」をプレイする
    • 当時、「レポートする=セーブする」が分からず、1日30分遊んではセーブできずに翌日も初めからプレイするという苦行をやっていた。
    • ちなみにみずタイプ選んでました。橋の下のライバル…


  • 文房具オタクになる
    • 時代はドクターグリップやカドケシが流行。クルトガに落ち着くまでの変遷期に、色々な文房具が群雄割拠してたのをひたすら追ってた。
    • この頃から、作業環境や使いやすい道具のデザインに興味が湧く。


  • 中学時代、卓球部に入る
    • 球技がすこぶる苦手だったので、どうにか克服するために一番ダメージの少なそうな競技をチョイス。
    • しかし弱小部だったのでスペースが無く、1年間は基礎体力向上部として筋トレしてた。


  • お菓子づくりをやり始める。
    • 祖父母が洋菓子店を経営していたので機材が家に残っており、それでよくケーキとかクッキー焼いてた。
    • 授業中に空腹でお腹鳴るタイプなので、作ったやつ持ち込んで休憩時間に食べてた。


  • ボランティアっぽいやつに参加する
    • 子ども会の活動を、年齢の近いポジションから補助するボランティアっぽい団体に約6年所属してた。
    • フリーハンドで出来る手品クイズみたいな小ネタを30種くらい覚えた。待機時間に披露して時間を稼いだり、結果でグループに分けたりする用。
    • 季節の行事やキャンプなどのイベントスケジュールの計画、運営もやった。行事を円滑に不備なく進めて、満足度のある体験にする裏方仕事が性に合ってた。


  • PSPでメールする
    • モンスターハンターやりたさに手に入れたPSPが唯一のインターネット機器だったので、それを使ってGmailで友人とメールしてた。
    • 中学で携帯電話を持っていなかったので、こうして帰宅後の人間関係をしのいでた。
    • 昔から電話が嫌いだったので、なんとかしようと必死だった。


  • プロダクトデザイナーを考える
    • 文房具オタクだったので、文房具みたいな「誰もが毎日使う、使いやすくて格好良い道具」を作るのに興味があった。
    • 暇な時間にぺんてるとか三菱鉛筆とかの採用サイト眺めてた。


  • 高校入学、そして帰宅部へ…
    • 卓球部入ろうとしたら、活動が週3日だったので止めて、近所のシニア層の練習に混ざることにした。
    • 帰宅部クラスで1人だった。部活動が盛んな高校だったので当然か。


  • 高校2年、アニメを見始める


  • 原作小説、ライトノベルを読むようになる
    • アニメも面白いんだけど、やっぱり本で読む方が楽しくて、原作のライトノベルとか有名どころとか買って読んだ。
    • 買っても1日あたり3冊読んだりするので、新しく本棚買った。
    • 1冊平均2時間で読むので、だいたい21時に読みはじめて3時に読了みたいな生活になる。


  • デジタルイラストを描き始める
    • 帰宅後にすることなかったので、貯蓄からsai、photoshop、ペンタブを揃えてデジタルで絵を書き始めた。
    • カタチから入るタイプです。
    • Aviutilで動画や簡単なgif作ったりもしてた。


  • 匿名個人でインターネットに発進する
    • 友人が始めるというので、追って自分の誕生日にTwitterを始める。
    • 匿名でやることにした。midunoiroが生まれる。
    • 個人ホームページとかやってなかったので、ネット上に人格を置く体験は初めてで、当時としてはだいぶ遅い年齢な気がする。



  • デザインが気になりだす
    • 生物もとい美少女イラストが描けなくて困ってたところ、イラストに装飾を施すデザイン的なアプローチがあると知る。(ラノベ表紙のそれ)
    • 興味がグラフィックデザインに向く。


  • グラフィックの練習する
    • グラフィックやるならイラレ使おうぜみたいに本に書いてあったので買う。
    • Photoshopから入った人間なので、パスの引き方がわからず困ってた。
    • とにかくロゴとか装飾パーツとか背景画像とか見よう見まねでトレースしてた。


  • ディスプレイについて詳しくなる
    • 生まれつき眼が弱いので、インターネットするようになってからディスプレイ見すぎて疲れ目になりがちだった。
    • 液晶の種類とか、メーカーの特徴とか、キャリブレーションとか調べまくった。


  • 京都に住みはじめる
    • 関西の芸大を選んだので、京都市に移り住んだ。
    • せっかくなので神社仏閣に観光するようになった。
    • ここからずぶずぶと京都沼にハマっていく。


  • 日記書き始める
    • 好きなデザイナーさんがTumblrいいよみたいに言ってたので始めた。
    • 使い方がいまいちわからなかったので、日記として使いはじめた。
    • 総記事数は少ないけど、Tumblrの方では3年くらい書いていた。


  • Webデザインを知る
    • グラフィック上手くできなくて、Webデザインに興味を持つ。
    • 表現メディアじゃなくて、ツールとして、プラットフォームとしてのWebを意識する。
    • 自己表現じゃない、誰かのためのものが作りたくなる。


  • 珈琲淹れるようになる
    • 友人が何度も淹れてくれて美味しかったので、一式買ってハンドドリップするようになった。
    • 味の違いがわかるようになるのと引き換えに、定期的に摂取したくなる体になってしまった。


  • 写真撮りに出かけるようになる
    • 一眼レフ買ったので色々な場所に出かけて、とにかく撮影して慣れることにした。
    • 出不精が改善され、観光とセットの趣味になってよかった。
    • 1年経ったら動画も録るようになった。


  • メイクするようになった
    • 薬でミスって顔荒れる病気になり、その後遺症でメイクするようになった。
    • 詳しくはこちら




実は書きかけというか、後からあれもあったとなりがちでキリがないので一旦投下することにした。なので思い出し次第、順次追記するか別で記事書こうと思っている。
自分はこんな具合に生きてきましたという日記でした。

銭湯の日

昨日は4ヶ月ぶりに銭湯に行った。場所は下鴨神社より少し北にある「栄盛湯」という銭湯だ。  

まだ寒いのでバスに乗って、いつもの銭湯仲間の友人と現地で合流する。頭上には「ゆ」とだけ書かれた電光看板が光っており、ちゃんと営業中であることがわかる。寒いねーなんて言いながらいそいそと店前の橋を渡り、のれんをくぐった。  

「おいでやす〜」と番台さんに言われて、自分が京都にいることを再度自覚する。挨拶しながら靴を脱いで、荷物と脱いだ服をロッカーに入れて風呂に入った。やはり家では出さないようなやや熱めの湯に入れたり、ジェットバスやサウナがあるのはとても居心地が良いもので、湯に入った瞬間、隣の友人と同じタイミングで「あ"〜〜」なんて声が出た。たわい無い話をして、それから水風呂とジェットバスを交互して、喉が渇いてきたあたりで風呂から出た。

銭湯の醍醐味はその後いかにだらーっとするかという点にもある。入浴後の時間まで含めて銭湯の体験だと考えているので、事前に調べておいた手順で瓶ラムネと瓶牛乳を冷蔵庫から取り出し、番台さんにお金を払ったのちに、椅子に腰掛けながらぐいっとそれを飲んだ。入浴後の一杯は格別で、それは全身からフッと力が抜け始める合図になる。ぼくが手にした瓶のキリンレモンには傷や印字のかすれがたくさんあって、そんなことからも趣を感じながらあっという間に飲んでしまった。  

ようやく落ち着いてきたので、その後は男湯と女湯のちょうど真ん中にあるテレビを見ながら、でもテレビの内容とは全く関係のない近況や世間話をして過ごした。火照りが無くなって、でもちゃんと体は暖かいうちに銭湯を出ることにした。  

聞くと友人は来月から東京に住むという。銭湯で話したこと自体は特に関係のない、何でもないことだったけど、それでも住む場所が分かれる前にいい体験をして、いい気分でなんとなく同じ時間を過ごせて良かったなぁと思った。外のバス停でバスを待っているあいだ、寒いなぁと思いながらそんなことを考えていた。

 

 

廊下の匂い

今晩は鶏肉をどう調理して食べようかなぁと考えながら、アパートの廊下を通る。  

ぼくの部屋は8号室と遠く、手前のいくつかの部屋の通気口からは風呂の匂いや、芳香剤、料理の匂いがする。

一瞬カレーの匂いがして、それを認識した瞬間にカレーが食べたい気分になった。カレーが食べたくなったけど、しかし冷蔵庫には鶏肉があるので鶏肉を食べるほかない。

そんなこと考えながら自宅のドアを開けて帰宅する。あらかじめ漬け込んだ鶏肉を調理しながら、今カレーを食べている人や、お風呂に入っている人が同じ水平軸にいるのだなぁと思うと、当たり前のことなのに、なんだか不思議な気持ちになる。  

ただの廊下の匂いだけで、自分の認識してる空間が広くなったような感覚が生まれて面白い。そんなこと考えてたら、隣の部屋のドアが閉まる音が聞こえた。  

もしかして、お隣さんの帰り道にも漬け込んだ鶏肉の匂いがしてるのかなぁと(そして鶏肉食べたくなるのかなぁと)考えると、ちょっと申し訳ないような、それでいてやっぱり不思議な気持ちがした。

ボイスメモ

人と雑談するとき、机の上にiPhoneを置いてボイスメモを取ることがある。

これが後で聞き返してみると、自分がどう喋っているか客観的に聞けて良い。
実際、ぼくはなかなかの早口で、かつやや声が高い気がするということがわかった。


いま携帯には、友人と待ち時間にした雑談や、家で飲み会をしたときの会話などのボイスメモが入っており、iTunesと同期させたミュージックアプリでバックグラウンド再生するなどして過ごしている。(ボイスメモアプリではバックグラウンド再生できない。)主に移動中や作業用BGMに聞いている。

最近聞いているのは初めてクトゥルフTRPGを体験したときの録音で、小説と雑談の中間のような…そんな3時間ほどの会話音源を垂れ流している。わちゃわちゃしているので愉快で面白いし、3時間もあればたいていの目的地に到着できるのでいろいろと都合が良い。

そもそもが、完全に個人の範疇で視聴する前提なので話す内容も気を使わないで楽でよい。一声かけて録音するようにしているので最初はお硬い雰囲気になるけれど、慣れたりお酒が入ったりしていると、録音されているという認識が薄まり、自然な会話が収録できる。もし気になるようなら、最初はアルコール入ってたほうがいいかもしれない。アルコールが入っていると面白くなる傾向があります。

ボイスメモ、ただ録音するときに開始ボタンをタップするだけで会話が録音できる。どういうコンテンツになるかは、話や話し方次第だけれど、状況によっては面白そうな話題を考えたり会話を楽しい方向に持っていこうとする意識がつくので、会話の練習にもなっている気がする。もし話すことに困ったら、あの頃流行ってたアレがうんぬんとか、そういう昔の思い出話をすれば大丈夫だと思う。

ただ話したり笑ったりしているだけの音声なのに、なぜか自然と気分が明るくなったように感じられて便利です。

恋と呼べるほどの強い体験

今週のお題「2017年にやりたいこと」

これは以下の日記にインスパイアされた記事です。

written-1natsu.hatenablog.com

名作なら一年に何本かは存在するし、それらを鑑賞もする。でも最近は自分の中に残らない。体験したという事実は覚えているけれど、3ヶ月もすれば、もうその時の感情は湧き上がってこない。

最近、アニメを最終回まで見ることが減った。具体的には、1シーズン平均で1.5作品くらいしか12話を完走していない。
かわりに、昔ハマった作品をもういちど見たり読んだりすることが増えた。そうすることで、当時の強い感情を思い出して、まだ自分には作品愛があるんだ。みたいな。自己催眠じみたことをしてしまっている。

そういう「当時の強い感情」とは、引用元にある「脳にズドンとくる感覚」のことであり、それはほぼ「恋」のようなものである。ように感じる。恋するほどにハマった作品ということです。

脳にズドンとくる感覚を一言で言いあらわすと恋としか言いあらわせなくて、でも誰でもなんとなくニュアンスは汲み取って頂ける感覚だと思うので恋ということにしている。 そういう感覚を味わう回数が減っているのはなんだか人生としてさみしい気がしていて、そういう感覚こそ人生の醍醐味な気がしている。

2017年にやりたいこと - ヒトナツログ

「すごく好きなモノ」を聞かれた時、昔の引き出しからしか話せなくなってきている。そんな状況に、危機感を覚える。 すごく好きなモノは昔のモノでないといけない必要なんてないのに、今の自分からはスッと出てこない。それがひどくさみしく感じる。
今年はもっと、あとで振り返った時に、あぁこの頃はアレの事しか考えてなかったなぁ…となるくらいの、強い体験をしていきたい。


以下は、熱がこもってこの記事を生成する前のTwitterの下書きです。

そもそも18歳以上対象の作品なのに、ぼくの好きなキャラが推定19歳なのがしんどい。最速プレイでも1年後は同い年で2年後は年上ですよ。毎年誕生日を覚えて祝っているのに、年々しんどい。もっと猶予をくれ。

これが言いたかっただけというのもあります。

昔のインターネット

失われつつあるインターネットについて憂いたり警鐘を鳴らしている記事をよく目にするようになった。

懐古的な内容ではなく、「俺たちのインターネットって、本来こういうものだったろ?」みたいな、現状を是正していく流れというか、何か訴えかける思いがこもった記事をよく目にする。

 

自分がインターネットに触れたのは小学5年の授業だった。当時はフロッピーディスクが流通していたり、Flashが主流の時代だった。

インターネットで動画を見たり、Webサービスを利用し始めたりしたのが中学生のころで、YouTube2ch等の掲示板を見たり、Amebaでブログを書いたりしていた。

そして高校2年で深夜アニメとエロゲーを知り、インターネットをヘビーユーズするようになった。 

 

こんなインターネット経歴なので、上記の「俺たちの(昔の)インターネット」にあたる雰囲気みたいなものにおそらく触れてない世代であり、正直なところそれが何を指すのかピンとこない。(そもそも上記のインターネットがどの時代を指すのか不明だが。)

ただ、そんなきっと昔にあったような、言外のマナーやモラルに基づく自治感のあったインターネットの、そのマイノリティな雰囲気を体験できていないであろうことを、少し残念に思う。